シイラ
シイラの語源をネットで検索してみると、ほとんどのサイトでこんな記述がされている。
「この魚の体皮は堅く、薄身で肉が少ないことから、米や麦の結実しない籾(もみ)のことを粃(しいな)と呼ぶことにちなんで命名されたといわれている。」
確かに体長の割には重量が少ない"ペラペラ"な体型ではあるが、"あの"シイラの語源が「中身の無いモミ」であるというのは、釣り人としては非常に違和感があって納得できない。
詳しく調べてみようと思う。
「シイラ」はシイラ科シイラ属の全世界の暖海洋に棲息する肉食魚で、表層を特に好んで回遊しイワシやトビウオなどを捕食する。
流木や流れ藻などの漂流物の陰に集まる性質があって、時には何千尾もの大集団を形成する。
ルアーフィッシングにおいて、シイラは確固たる地位を確立している。
小さいうちは「ペンペン」と揶揄気味に言われるが、オスの成魚となると2mに迫る個体も出て、その大きく盛り上がったオデコに象徴されるようにとにかく引きが「ヤバすぎる」魚だ。
ボートによるオフショアキャスティングのトップゲームの主役で「パヤオ」といわれる浮き魚礁でのゲームが有名だが、場所によっては接岸してショアでも狙えるゲームフィッシュだ。
シイラと言ったらやはり「チカラこそパワー」という暴力的・圧倒的なそのファイトだろう。
ハワイ語の"マヒマヒ"の意味は「強い強い」なのだ。
古書の記述を調べてみると、室町時代(文明16 1484)の辞書『温故知新書』にシイラの記述がある。また寛永15(1638)年に発行された『毛吹草(けふきぐさ)』(松江重頼編)に、若狭の小松原ツノ字(シイラの地方名)、越中の九万疋(クマビキ)の名があり、九万疋のところには注として「ツノ字を云う」とある。更に延宝4(1676)年に成立した『書言字考節用集』(若耶三胤子編)には、九万匹、または津字(つのじ)、鱪(しいら)と記されている。日葡辞書にも記載がある。
延宝6(1678)年の『食物摘要』には「志伊良 生北海大者長一尺…」とあり、明和6(1769)年の『食療正要』では「西衣辣ト字用ユ」、和漢三才図会では「志比良」と紹介されている。
古代日本語では「しひら」であったと思われる。
ちなみに「つの字」とは、釣り上げると身体を曲げて"つ"になるから名付けたと言われている。
またシイラは江戸時代の公文書や訴状などにも度々登場する。
シイラが漂流物に着く性質を利用して、ヤマモモやキョウチクトウの枝など腐りにくい木の枝を束ねたものを浮きや旗と共に海上に設置する"漬け木"に集まるシイラを網で獲る「しいら漬け漁」がかつて盛んに行われた。
設置には藩や村の許可が必要で、無断での漁は禁じられているように利権性の高いもので、度々トラブルがあったようだ。
以上に挙げた江戸時代の各文献によると、「しひら」は西日本海側や九州四国で盛んに漁が行われ、出荷用に直ちに塩漬けや干物に加工された。
加工品は「くまびき」「まんびき」などと呼ばれ縁起物とされる。由来は「1匹居れば9万匹が連なる」だとか…
献上品にもなったと殿様の日記に載っていたりする。
正月の特別なお祝い用の魚としてシイラを特に珍重したのは中国地方の山間部…広島県の芸北は有名であったようだ。島根県浜田で加工された塩シイラは、行商人の売上記録から広島の各山村に出荷された事が分かっている。
しかしすぐに傷みやすい魚故に、山陰の漁村では生食はされずに雑魚の扱いだった。
中国地方の山間部で"お祝い品・縁起物"として定着した塩シイラであったが、この地方では稲の実りが悪い時に籾殻ばかりで中身が充実してないものを"秕(しいな)"と呼ぶので、その音訓を忌んで豊作を表す"万作(マンサク)"と代えた…と明治時代に編纂された『日本水産製品誌』に記述があるようだ。
どうやら「しいな由来説」はこの辺りの情報が取り違えられて拡まったと思われる。
"しいな"が由来なのではなく、「音が似ているので忌んで別の言葉に代えた」話しがすり替わってしまったようだ。
シイラの地方名である「マンビキ」「クマビキ」「トウヒャク」なども、加工品を"めでたい名前"に代えたもののようだ。
では一体、シイラの語源は何だろうか。
やはりその「パワー」を表す言葉こそシイラに相応しい名前だと感じる。
…「強いる」とは「相手の意向を無視して、むりにやらせる。強制する。」という現代語であるが、その古語である「強ひ(しひ)」も同様の意味だ。
何千もの群れで回遊し、釣り人に掛かれば圧倒的な力で無理やり引っ張り回す…
「強ひる奴等」として「しひら・しいら」と命名したのだとすると納得するのだが。
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