コチ

マゴチやイネゴチなど"コチ"の仲間は平べったくて細長く、海底で小魚などを襲うフィッシュイーターでヒラメと並ぶサーフのフラットゲームで人気のターゲットだ。

名前の由来は大言海によると「姿形が「笏(コツ)」に似てるから「コチ」と名付けられた。
後の世に「コツが骨に通づるので縁起が悪いので読みを変えてコツが笏(シャク)となった」
と説明されている。
笏とは束帯を着用する際に持つ板で元々古代中国の官人が忘備録の書付の為に持つものが6世紀頃に日本に伝わり、後に正式な装備品とされた。

奈良時代に唐風文化の一つとして笏が伝わり、大宝律令など朝廷の正式な様式が定まっていく時代に、魚の名前として当時コツと呼んでいた宮廷人や神職が持っていた笏を見立てている。
そして大和風文化が定着して宮廷の女房達の間で"名前の言い換え"が流行る頃に、コツがシャクに変わる。
要するにコチの命名は奈良時代だと特定されるのだ。

日本人に馴染み深く且つ大量に獲れる魚は縄文時代から万葉仮名の時代までずっと昔から言い表されていた。
しかしコチはおそらくそんなに多く捕獲されず、様々な地方名で呼ばれていた筈だ。
なぜ奈良時代に統一名が必要だったか。それは租庸調が定められ、地方の海産物が税として納められたからだ。

各地の風土記や延喜式などの書物や、遺跡から出土した木簡から、当時の調として魚の名前が残っている。
出雲風土記に"沙魚"という記述があり「サメ」だろうという研究者が多いが、釣り人目線だと浜辺にいる魚はサメだとは考えにくいし、サメには"佐米"という万葉仮名が既にある。沙魚はコチではないか。
また『和名抄』にサメは鮫又は鯊魚と書き、「目が小さいので"さめ(小目)"という」由来があるが、どう見てもサメの目は小さくないし、マゴチの目は明らかに小さい。サメとマゴチを混同している気がする。
更に延喜式には"許都魚"という記述があり、その魚の皮を備前備中備後の三国が貢納すると書かれている。許都魚は「コツウヲ」と訓む。渋沢敬三の『魚名の研究』では許都魚は鮫であるとされ、同じく『日本魚名集覧』では「エドアブラザメを備後国鞆では"コツウヲ"という」と記されているが、岡山県や広島県東部でサメが歴史的に産業として捕られている事はなく、居てもホシザメ程度でアブラザメはまずいない。どう考えても「コツ」という魚はコチ以外いないのだ。

奈良時代、庶民にとって"笏"はあまり馴染みの無い物だっただろう。
おそらくコチは各地方で「牛尾魚」又はウシの尻尾に準じたローカル名だった筈だ。
奈良の都からやってきた官人達が、笏(コツ)に似た平べったく長い魚を「コツウヲ」と名付け、調すなわち海産物の税として取り決めた…そんな物語を思い描くのだ。

釣り人語源考

魚の語源や海の地名の由来など 釣り人目線での語源考です。

0コメント

  • 1000 / 1000